誠実な住民意識

世間の出来事について、住民がどう感じているかの記事です。

年金受給者の税務申告

 平成の初めまで、公的年金に税金はかからなかった。しかし、今では普通に税金が源泉徴収されている。その結果、確定申告時期の税務署は高齢者でごったがえすこととなった。要するに、天引きされた税金を取り戻すために確定申告の手続きが必要になったのだ。

 住民税からも同様に公的年金から税金が徴収される。でもそのことについてはあまり話題にならない。国税は5%・住民税は10%と住民税のほうが多く徴収されるのに。

 なぜか?住民税の申告は不要なのか?結論は住民税にも申告は必要だ。では、なぜ話題にならないのか?

 私は、市役所で30年以上勤務後に税理士試験に合格して税理士となった。税理士の数は全国でおおよそ8万人。そのなかで30年以上地方自治体で勤務した税理士は皆無といっていいかもしれない。要は、所得税源泉徴収システムと住民税の課税システムがどのようになっているかについて、一体的に説明できる人員が少ないのも一つの要因ではないだろうか。

 これは、私の市役所での勤務経験からの肌感覚だが、税務申告をしていないために税金を多く徴収されている年金受給者の数は課税されている年金受給者全体の2割程度あるのではないかと感じる。このような方を1人でも減らしていきたいと思い、ささやかだが毎年活動を続けている。これからも続けようと思う。

 

令和5年度 泉佐野市立公民館講座

 

家族とは

Honda Tetsuya 氏の著書からの引用です。

 

「家族だってことと、家族でいるってこと、家族になるってことは、すこしずつ意味が  

 違う。家族っていうのは無条件に存在してるんじゃない。放っといて維持できるもの  

 でもない。家族だから無条件にわかり合えるとか、通じ合えるとかいうのは幻想。お

 互いが思い合って、尊重し合って、そういう努力があって初めて維持できるもの」

 

 子どもを育てるのは本当に大変です。でも頑張って子育てしている方々に知ってほしい言葉だと思い、ブログにアップしました。

 しんどいと思うこともいっぱいあると思うけど、子どもの可愛さは今だけです。その一瞬を大切に感じて頑張ってください。

 

バツイチの筆者より

 

 

 

 

知らんうちに増税

 毎年、「年金所得者のための初めての税務申告」というテーマで、公民館主催の講座の講師をさせていただいている。所得税はもちろん住民税も絡んでくるので、「私の出番かな」と思い毎年お手伝いしている。毎年、年金をもらい始める人は違うのでご好評をいただいている。

 その講座の準備をしているなかで、令和6年度より住民税の均等割に「森林環境税」という国税が新設されていた。均等割は令和5年度まで「東日本大震災にかかる震災特例」(実際はもっと長い名称です)として1000円が賦課されていた。この特例は令和5年度で終了し、令和6年度から均等割は1000円減額となるはずであった。それが「森林環境税」なるもの1000円が賦課され、令和6年度の均等割は減額されない。

 いったいこの「森林環境税」という国税はいったいいつできたのだろう。調べてみると、平成31年の3月に成立している。5年前。

 

 今年の年末は30日まで仕事をする予定になってしまった。原因はインボイス。この

インボイスの成立時期はご存じだろうか。平成28年の11月。7年前に消費税が

10%に増税された時、軽減税率8%が設定された時だ。どさくさにまぎれてのインボイス成立である。

 5年以上先の話、誰が真剣に審議するのか。自分が死んでるかもしれないのに。これが政府のやり方。したたかだ。

   

水も肥料もなしであぜ地に咲いた花 見習わなければ・・・

 

伊集院静氏の教え

前回のブログでたまたま伊集院静氏の言葉を紹介した。

その伊集院さんが死去した。

 

彼の大人の流儀シリーズは多分全部読んでいる。

こんな言葉があったように思う。

「品性を忘れるな。自分だけのために生きるな。金が全てと思うな。

 泣いている人、悲しんでいる人に手をさしのべる勇気と力を持て」

 

サラリーマンの頃は給料日が来るとお金が入ってくる。でも自営業は

そうはならない。だから損益を考える。それが常態化してしまう。

もう一度、彼の言葉を心に刻もうと思う。

 

伊集院静氏。73歳で死去。最後の最後までかっこいい人だった。

会ったこともないが・・・・

ご冥福をお祈りいたします。   拝

フィットネス KARATE

泉佐野市立公民館主催の講座を15年以上やっている。

諸般の事情で中休み期間もあったが。

参加者の方にはとても喜んでもらっている。

「いっぱい汗かいて、そして楽しかった」と。

 

伊集院静氏の著書だったと思う。

「人は皆それぞれの事情を抱えて生きている」と。

そう皆がんばって生きているのだと思う。

 



 

市議が衆議院議員の公設秘書を兼務

維新の衆議院議員が市議2人を公設秘書として採用していた。無届で。

衆議院議員の公設秘書は特別職の国家公務員だ。

公務員なので報酬は年齢等により規定されている。

該当の一人は60歳近いので、おそらく1千万円前後の報酬を得ている。

その対価にみあうだけの労働をしていたら、この金額が高いとはいわない。

しかしそれなら市議としての職務は皆目できないだろう。

おそらく議会に出席して挙手しているだけ。そしてその市議報酬も1千万前後。

 

この人たちは、我々個人事業主が1万円の報酬を得るのにどれだけ苦労している

か知らない。

なにが身を切る改革だ。

 

もう山は登りたくない

以前に「永遠の階段」という記事を書いた。

常に目標を設定し、その目標に向かって努力する。

失敗すれば反省し、成功したらすぐ次の目標に向かってまた努力

を開始する。

 

若い頃はその努力がどんな未来をもたらすのかという夢があった。

でも最近、階段を登ることがつくづく嫌になっている。

登るばかりの人生何が楽しいのか。しんどいだけやん。って。

 

ある方の著書に出会った。

「生きるのは山登りとは違う。山があっても登らなくていい。

 寝そべったり、おにぎり食べたり、それだけでもいい。

 楽しそうな生き方でいい」

 

なんかほっとした。